「お客様は神様です」
三波春夫さんの有名なフレーズですが、今では本来の意図とは違った意味で一人歩きしているようです。
本来は歌手である方が歌や観客に対して臨む心構えを表現した言葉だそうで一言で片付く心境ではないらしいです。
今は「お客様が偉い」という意味で広まってしまっていますよね。
トンチみたいですが私は「お客様は神様でもあり、神様ではない」と思います。
お客様は神様なのか?
この問いに対する答えは、提供側(販売側)と提供される側(購入側)のそれぞれの立場で別にして考えるべきだと思います。
販売側は接客の心構えとして「お客様は神様」…とまではいかないにしても、大切にするという心構えは大事だと思います。
ただ購入側が「自分は神様」という意識は、自分が商品・サービスを選べる立場にある事にあぐらをかいてしまっている状態かなと。
販売側が神様という心構えを持つ事があっても、購入側が自分は神様と立ち振る舞うのはオゴリがあるように感じます。
なぜ、このフレーズが広まったのか
「人間は 自分は絶対に正しいと思い込んだ時に 最も残酷な事をする」司馬遼太郎さんのフレーズだそうです。
仏教にもこういう考え方があるようで、マンガやアニメでも時折そんな一面にスポットを当てているシーンもあります。
最近の最も顕著な例としてはSNSのバッシングなんかはまさにこの典型例だと思います。
前回の記事で、お金を払う側は別に偉い訳じゃないという事を書きましたが選択権を持っているケースが多い事も事実です。
この自分は選べる立場にあるという認識に「お客様は神様」というフレーズが正義の旗として盾としてすっぽり収まりが良かったんだと思います。
選択権のある立場こそ謙虚さを
私自身も気をつけないといけないと感じているところですが、選択権がある立場の場合は気遣いレベルが落ちてしまいがちです。
相手によって対応を変えるのは好きではないので、ここは気をつけていきたいところだと思っています。
例を挙げるとしたら、ちょっとしたメールのやり取りでしょうか。
対応側は早く、丁寧に心がけると思います。利用側は用件が済めばスン…となりがちなところがどうしてもあるかなと。
問い合わせなどは良い例で、利用者側からアクションがあり、対応側がそれに返信します。
その後、対応してくれた事に対してお礼にしろ、了解した旨など、何かしらアクションをするようにしたいものです。
だって、対応側であれば何かしてもらった時に一言何か添えるはずですので。
ただ、購入側が謙虚にしていると、逆に販売側がそこにあぐらをかいてくるケースも割とあるので謙虚でいるだけが良い事では無いかなとも思っています。